川島よく <射品> とか <射格> がある・ないといいますが、どこを観ておられますか。
木下先ずは手の内であるが、 <握らず> にいかに <受け> ているかだ。そして次に <軽き離れ> を良しとする。
川島<手の内> 見えたりとよくいいますが、まったくその人の心の動きや性格まで伝わってきますね。
木下いくらど真ん中に二本皆中したところで、サルが壺の中のアメ玉をつかんで離さないような <手の内> では話にならないね。
川島そうですね。なんでもかんでもつかんで離すものか、といったような手の内を見るとき、その人の性格や育ちまでも観てしまったような気がします。
木下指先は決して握り込まずに、軽く締めることだ。
川島卵を包みこむように、唐傘をさすようにですね。棒でも刀でもゴルフクラブでさえも、すべて同じですものね。
木下では、離れにおいてはどのように観ておられるのでしょうか。
川島初心の荒い離れのままでいくら高段位にのぼりつめたところで、どこかに無理や未熟が残ってしまうものだ。決して金的には皆中できまい。
木下<ハナス> と <ハナレル> の違いをほとんどの人がわかっていませんね。
川島弦を握りこんで長時間呼吸を繰り返し、放さないのがすばらしいという指導者が出現してしまった。
木下いつまでたっても、<ハナス> では大衆弓道のレベルを越えられないですね。
川島軽いハナレにシャープさが加わればよい。
木下前面だけつくろったところで、後面もつくりあげなければ決してシャープな軽いハナレは出ませんね。
川島

人を観るときは、前よりも後ろから観る方がよい。前はつくろえるが、後ろはごまかせない。

木下

だから後姿ののっぺりとただ引いているような淋しい姿は、何よりもよくないのですね。

川島

肩甲骨がガシッと合わさっていて立派に見えてこそ本物である。こうなっておれば、人物もできているというものだ。

木下

アゴがしまり、胆(ハラ)がしまっていなければならない。

川島

徳や力などというものは、先ず面(カオ)に現れるが、それが後姿にあふれ、後光がさしてこそ本物なのである。

木下

古諺にある <面(カオ)に見(アラワ)れ、背に溢(アフ)る> に至ってやっと弓が身についたというのでしょうね。

川島

近頃は、射礼後いかにもえらそうに帰ってきた先生の後姿の衣紋が、アサッテの方向に向いているのをよく見かけることがあるな・・・