木下 | 戦後の日本が失ったものは、<武>という言葉に集約される。 |
川島 | 文字通り<武>とは<戈(武器)を止める>という意味ですね。 |
木下 | <武>というものは、保持しているからといって戦う必要はないものだ。 |
川島 | つまり<戦いを止める力をもつもの>ということですね。 |
木下 | 例えば、江戸時代の長期間の平和は、まさに武器を用いることなく文字通り戈が止まって平和であったのだ。 |
川島 | <武>とはすぐさま生死を左右させるものであるが故に、そこには倫理や規範、規律などといったものが自ずから存在していたのですね。 |
木下 | 外国では、日本人の無宗教はけしからんとよくいわれるが、それに代わるものとして日本人には<武>の心があったのである。 |
川島 | 何気ない日常においても、常に<死>というものを覚悟していたサムライであったればこそ、というものですね。 |
木下 | <武>の精神とは、単なる犬死にではなく、いかなるときも命がけで自分の義務を果たそうとすることである。 |
川島 | 正々堂々のうちにあらゆる手段を用いて生き延びんがために我命をかけることが、<武>の心ですね。 |
木下 | だからかつては日本のサムライといえば、世界中の誰もが畏敬の念を抱いていた。 |
川島 | そしてまたサムライだといわれんがために、我々日本人たるものとして<凛>としていた。 |
木下 | 現在では残念なことに日本人の<武>の心、伝統がまさに消滅しようとしている。 |
川島 | たかだか一尺二寸の的に的中させることが弓道だとおっしゃる指導者さえもすでに死に絶えようとしている現在、我国固有の<武>の心は一体どうなるのでしょうか・・・ |
木下 | 温故知新だよ。我が流派には五百有余年のれきしがあるものな。 |