川島 | 射形の上手−下手を見極めるポイントは何ですか? |
木下 | それは<手の内>と<軽い離れ>だな。 |
川島 | 弓手は小さくシンプルに圧縮された形であり、いわゆる各流各派に伝わるものにあつ紅葉重ね、卵中、竹の弦がらみ、などといったものですね。 |
木下 | 飛・中・貫を創出できうるもの、七間三尺ができうる<手の内>が大切だ。木刀を持っても、やりをとっても、ゴルフのクラブを握るのもすべてが同じことです。<握る>のではなく<受ける>ことだ! |
川島 | 握り込んでいては、お箸さえも十分に使えませんね。 |
木下 | ひところ有名な高段者が、人それぞれ手の形もちがうので、ただただ弓を握り込んでドカンと離せばよいと伝導していたが、やはりこの程度のレベルでは小的の金的への皆中は、夢のまた夢といったものだな。 |
川島 | 本当にそうです。特に最近は、離れた弓の握り皮がひとこぶしもふたこぶしも弓手より落下している方が、かなり多くなっていますね。 |
木下 | それも最高段位の見本の方でさえ、弓が落ちている。 |
川島 | よーく見ると離れの瞬間パッパッと無意識に弓を握りかえています。 |
木下 | まさしく<手の内>見えたりだな。 |
川島 | 弓は母指で挟まないで受ける、決して握り込まないという基本さえ知らない人が増えてきたのですね。 |
木下 | だから、手の内に大きなタコを作って手術してみたり、肘が痛くなって弓が引けなくなる。 |
川島 | 弓が引けなくなるものだから、どうしても立ったりすわったりする方に価値観を見出すこととなり、体配名人が出てくるわけですね。 |
木下 | 他人様に強要しているうちはいいのだが、そうこうしているうちに自分自身が年をとってしまい、体配さえも出来なくなる。 |
川島 | 弓は引けないわ、体配は出来ないわ、理論もないわ、ではね・・・。 |
木下 | まさしくこれが大衆弓道の<不昧因果(ふまいいんが)>なのだ。 |
川島 | 自分の手の内は、そんなに簡単にヒトサマに見られては困りますものね。 |
木下 | 普段の生活でも同じですよ。握り込んでしまうからいけない。 |
川島 | 結局は握り込むことが、すべての原因の根本なのですね。 |
木下 | <軽い離れ>は、いつまでたっても出来ないということだ。 |
川島 | 普段の生活においても、握り込んでしまわないことが大切なのですね。 |
木下 | それでは<軽い離れ>とはいかなるものかであるが・・・ |
<つづく>