川島 | <あがって>しまい、実力が出し切れずに終わってしまうことがありますが、いかがお考えですか。 |
木下 | 七十歳や八十歳の人生の見本の年齢になってしまってもアガルものはアガルのです。 |
川島 | 何十年このかた平常心を念仏のように唱えている有名な先生方の射礼時ですら、ハカマすそが振動している時がよくありますね。 |
木下 | <アガル>とはいわゆる恐怖心の一種であり、心の深層では<自信>がないので心配が先行してしまっているのだ。 |
川島 | いつのまにか、その姿が真摯ですばらしいものだといって話が美化されてしまうものだから、いつまでたっても先のレベルにすすまない。 |
木下 | 身体の動かし方に<骨法>があるように、心理的なもの、精神的なものにも各人ひとりひとりに対しての修練過程がある。 |
川島 | 未熟な技を根性精神論で飾り立てるレベルのものではなくて、物理的な法則で解明された<骨法>と同様な<精神の骨法>といったものの修練過程があるということですね。 |
木下 | 十人十色の人間がいるからといって話をゴマ化して禅問答してしまうから、ひとりよがりのガンコタイプが育ってしまうのだ。 |
川島 | <口伝>通りにいけば、精神修練の過程も体系的に伝承されてきていますので、我が流派の歴史の重みを感じてしまいます。 |
木下 | そうだね。時代に合わせて、いま流に一つ一つ具体的な例えでわかりやすく解説されていくのがよかろう。当然他の武道でも各個の社会生活の中においても存分に役立つであろうと存ず。る |
川島 | ときどき初心の者に自分自身のタイプを選択するところからスタートするように申しておりますが。 |
木下 | おもしろそうだね。どのように具体的に解説されているのか。 |
川島 | 先ず第一に<オドオドタイプ>、第二に<一発屋タイプ>、第三に<考えすぎタイプ>この三つのタイプのどれに自分自身が属するかを悟ってもらうところから修練するように申しております。 |
木下 | なかなかわかりやすい。『平常心だ』『平常心だ』の空念仏だけでは今後<日本の心><ゆみのこころ>を学ぶ若い人たちにおいても、まして外国からやってくる人々さえも耳を傾けずに<首を傾ける>ことになってしまうに違いない。 |
川島 | 矢数を何千本、何万本かけてみても、『目標』への進入ルートを知らない限り迷走ばかりしてしまい、せっかくの修養のレベルにはほど遠くなってしまいます。 |
木下 | ちまたには精神修養の言葉がくどいほどにも氾濫している。しかし、実際の修養の過程そのものを記するものはほとんど皆無である。五百余年以上もつづく我が流派の歴史性ある鉄則をもって、どうか今後各人の実生活の上にも充分役立てていただきたい。 |