『若弓と熟弓』

 雪のチラホラ降る日、物音一つしない深閑とした道場で、一人矢をつがえ、会に入っている老人あり。頭髪なく、顔はコケ、目は細く、眼光のみ鋭く、飄飄とした姿。やがて矢は放たれ、閃光走り的中と思いしに、あにはからんや、矢の勢いまったく無くヒョロヒョロと、的一尺手前に付く。当人はと見れば、地震にでも出くわしたが如く、今にも倒れんばかり、踏堪えるのがやっとである。乙矢も同様なり。肌入れが終わったとき、何処からともなく、アハハハと、人の笑い声、一人の笑い声が次第に何人かの笑い声に変わる。やがて中年の男と、学生達が道場に入って来たのである。

   此の中年の男、二十年程前、彼が学生である頃、此の老人に師事し、特訓を受け、允可を許され、今では個人道場を持ち、大学の師範をしている弓の巧者である。

 老師眼光鋭く、「今何故笑ったか」と問う。弟子無言にて只礼をするのみ。老師尚一層鋭く、「返答次第では容赦しないぞ」弟子おもむろに「先生、他人様には、笑いません。先生故大声で笑ったのです。何故笑ったか御自身御存知のはずで御座居ます」「御存知とは如何なる事か」「先生御忘れで御座居ますか、では申し上げます。」

 「何十年か前、私が学生時代、或る射会に於て、某範士が、振動流にて引く姿を見て、『あれでも範士ですか』と笑った事がありました。其の時先生は、『人様の引く姿を見て笑うな。あれでも本人は一生懸命なのだ。人の振り見て我が振り直せのたとえもある。自分自身を取っても、彼の様な姿にならぬ様、真の射法、射術を身に付け努力して一日も早く、弓の奥義をさとり外見はもとより、内面も合せて修行する事だ。しかし乍ら彼も人の言う事を聞かない頑固者故、あれで終わってしまうだろう。惜しい事だ。彼の姿が、私の姿に成らぬ様、頑張ってみるつもりだ。もしも私が老人になってあの様な姿で、弓を引いているのを見たら遠慮なく大声で笑ってくれ。但し此れからは、他人様の姿を見て陰口や笑声は一切まかりならぬ』と、きついお叱りでした。」

 「又先生は、若弓、熟弓について御話し下さいました。『私の師より習いし教えの中に、弓の道にも春、夏、秋、冬の例えがある。段階を下、中、上、師格と分ければ即ち、下段<初、二段>は春、中段<三、四段>を夏、上段<五、六、錬>を秋、師格<七、教、範>は冬となると教えられた。私はこれを分かり易く、下、中段を若弓、上、師格を熟弓と名付け、君達に指導していくつもりだ。若弓者は、あくまでも基本を主として、一日も早く熟弓者になる様努力し、熟弓者は益々練磨して、若弓者に尊敬される様努力する事だ。練習法の一つとして、若弓者は、若弓者として、熟弓者は、熟弓者として、互いに悪き所を指摘し合い練磨する事だ。此の意を解する事によって、両者の信頼感が生まれて来るものだ。もし君達が私に不信を抱く様な射を見たならば、遠慮なく大笑してくれ。これは私自身の為でもある。君達に頼んで置くからよろしく頼む。』と仰せになりました。」

 「其の教えを私は今でも覚えています。今現在、弓界の熟弓者の中に姿、形にとらわれ、内容のない只弓を引いているのみ、としか受けとれない人々の多々ある中で、我が師だけはと期待して、学生達を連れて見学に参りました。気をそらしてはと思い物陰より静かに見学しておりましたが、期待はずれで残念で御座居ました。とっさに二十年前の教えを思い出し心ならずも笑い声を出したので御座居ます。どうぞ失礼を御赦しください。」

 涙乍らの言葉に、老師は弟子の手をグッと握り、「ありがとう。よくぞ笑ってくれた。もう一度引いて見る故、悪き所を指摘してくれ」「では申し上げます。先生とお別れして以来先生には、悪き所を指摘する者がおらず心ならずと、一人弓に耽ってしまったのではありませんか。もう一度基本に返って若弓、熟弓を思い起こし、無為の心を呼び戻してください。只それのみで御座居ます。」

 再び老師は射位に、其の姿は、なにか悟るところがあったのか、足腰はしっかりと座り、老顔はどことなく穏和に見え、やがて引絞った矢は、軽き離れと共に飛び出し的芯に快音を立つ。老師の残身はと見れば、泰然自若として微動だにせず見学する者固唾を呑む。二の矢も同じ如く、だが此の時異変が起きた。離たれた矢は、「カチッ」と異音を発し、甲矢の筈を割り箆中節のあたりまで裂いてしまったのである。並居る者、思わず喚声をあげる。「先生、出来ましたね」老師無言のうちに歩みより、愛弟子の手をグッと握り「負うた子に教えられ!とはこの事だ。ありがとう。ありがとう」心暖まる師弟愛、共に頬を伝う一滴。並居る学生、眼の当たりに今の様をとくと拝見し、改めて両師に敬慕し、如何に基本が大切かを悟り、一日も早く此の様になろうと己が心に誓うのであった。

 此の初夢、果して、只の夢だと一笑に付していいだろうか?若弓者の心意気、熟弓者の心情を我々は今、忘れさらんとしている様に思う。私自身今年の課題として『基本の充実を真剣に』を心に刻んでやって行きたく思う。皆様、もしこれを読んで、何か感ずる処が御座居ましたら、再読して戴いて、夢は何を訴えているか、検討して戴ければ幸甚かと思います。

 

 反求 第34号(昭和63年3月発行)より

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